日本仏教諸行無常


キリスト教の宗教革命


免罪符を買えば天国に行ける事件ですね

現在。執筆中です。





以下はウィキペディアよりの引用を主に記載します。
宗教改革・革命とは、16世紀のキリスト教世界における教会体制上の革新運動です。
ルターの贖宥状批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、
聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、プロテスタントの分離へと発展したのです。

免罪符を買えば天国に行ける?
布施をすれば成仏する?
なんかよく似た話ですね。

ルターによるルター教、チューリッヒのツヴィングリやジュネーヴのカールヴァンなど各都市による改革派教会、
そしてヘンリー8世によって始まったイギリス国教会などが成立しました。
また、当時はその他に急進派も力を持っていました。

1517年、ルターはローマ教会に抗議して95ヶ条の論題を投げたのです。
この贖宥状批判は大きな反響を呼んだのです。
この宗教改革は各地に拡大し、ローマ教皇に嫌悪を抱いていた周辺の諸侯の支持を得たのです。
農奴制からの解放を求める農民も反乱を起こしました。

カトリックを支持する神聖ローマ皇帝と、ルター派の諸侯の間で戦闘が続きましたが、
1555年にアウクスブルクの和議が結ばれ、
諸侯はカトリックと新教(ルター派)を選択する権利が認められたのです。

カールヴァンの宗教改革
カールヴァンはすでにファレルによって宗教改革が始まっていたジュネーヴに立ち寄った際に、
請われて留まりそこで活動するようになりました。
ルターの宗教改革が信仰の改革に徹していたのに対し、
カールヴァンは礼拝様式と教会制度の改革をおこなったのです。
礼拝式文を整え、ジュネーブ詩篇歌を採用し、
信仰告白・カテキズム・教会規則を整備し、
教師職の他に(彼らの理解によれば)初代教会以来の信徒の職務である長老職と執事職を回復し、
長老制の基礎を作った。またカールヴァンは聖餐を重んじ、
毎回の礼拝でこれを執り行おうとしたが、それは市当局の反対により実現しなかった。

経済学でもカールバンは有名です。
それまでのキリスト教は、金持ちは天国にいけないと言われたのです。
それで、有り金をほとんど教会に寄付(布施)しろと言われていたのです。
しかし、カールバンはコレを否定します。
お金はドンドン儲けろとね。
そして少しだけ教会に寄付すれば良いとね。
これにより、資本主義が始まります。
まさに、資本主義の母です。

でもこんなことも言います。
人は、生まれた時に、運命が決まっているとね。
地獄に落ちる運命に生まれたものは、どんなに良いことをしても地獄に行くとね。
天国に昇る運命に生まれた者は、どんなに悪いことをしても天国に行くとね。
酷い話ですね。
でも彼らの思考は東洋人とは違うのです。
悪いことをしている奴は、俺は天国に行く運命をもって生まれてきたので、
このあたりで悪いことはやめておこうとね。

良いことをしている者は、俺は天国に行く運命で生まれているのだから
良いことをするのは当然だとね。
我田引水とはこのコトを言うのですね。

イングランドの宗教改革
イングランドでは、ヘンリー8世の離婚問題が改革の直接原因で、政治的・経済的な動機も強い。
ヘンリー8世は、教皇権と分離したイギリス国教会(アングロ・カトリック)を設立し、
新たに教会組織を作ろうと図った。これに反対した大法官モアは処刑された。
のちヘンリー8世はローマ・カトリックの修道院を多数廃止し、
その財産を没収して、国庫へと入れた。

ヘンリー8世のあとを継いだエドワード6世 は、
1552年にノックスの影響を受けたカールヴァン主義的な42箇条に署名し、
エドワード6世の時代にプロテスタントの宗教改革が進められたが、
メアリー1世はローマ教皇を中心とするカトリック教会を復活してプロテスタントを取り締まり、
約300人を処刑したため、ブラッディ・マリー(血まみれマリー)と呼ばれた。
これは、ローマ教皇を中心とするカトリック教会の考えによれば、
修道院解散で富を得た者たちが反発したにすぎないとしている。

メアリー1世の後を継いだエリザベス1世は再びイングランド国教会を国教とし、
イングランドにおける国教会の優位が確立した。
しかし、政治的・経済的な動機が強かったイングランドの改革を不十分とみなし、
更に改革を推し進めたのが清教徒たちであった。

スコットランドの宗教改革
スコットランドの宗教改革はハミルトンを始めとして、
本格的な宗教改革が行われるようになるが、ハミルトンは志半ばで1528年に処刑された。
後にジョージ・ウィシャートも宗教改革を実践し、
カールヴァンとツヴィングリの信仰をスコットランドに広めたが、
彼もハミルトン同様に1546年に処刑された。

その後、ウィシャートの弟子であったノックスにより長老派教会が形成され、
スコットランド教会の宗教改革が進められた。

フランスの宗教改革
サン・バルテルミの虐殺
フランスの改革派教会であるユグノーが成長したが、
ローマ・カトリックによるサン・バルテルミの虐殺が起こり、
カトリック信徒がプロテスタントを弾圧したため、
プロテスタントは組織的には壊滅状態になった

この当時はたしかオーストリアが教会を支配していたのですよね。
キリスト教もいろいろ合ったんですね。