日本仏教諸行無常


儒教


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儒教は、
孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、
東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持っています。


日本もその一つです。
道徳は儒教の教えです。
天に通じる徳の道です。
日本の常識は儒教の教えです。


その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。
大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。
中国では、哲学・思想としては儒家思想といいいます。


儒(じゅ)の起源については、
胡適が「殷の遺民で礼を教える士」として以来、
様々な説がなされてきたが、
近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきています。


紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムおよび
死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)を儒の母体と考え
、 そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、
当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた
古代社会の道徳的・宗教的再編を仁愛の理念をもって
試みたのが孔子だったのです。
このあたりからご先祖思想になるのです。
ここで死後の世界を言うので宗教となるのです。


東周春秋時代、魯の孔子によって体系化され、
堯・舜、文武周公の古えの君子の政治を理想の時代として、
周礼を保存する使命を背負って、
仁義の道を実践し、
上下秩序の弁別を唱えています。


そして教団は諸子百家の一家となって儒家となります。
(支配者の)徳による王道で天下を治めるべきであり、
同時代の(支配者の)武力による覇道を批判し、
その様に歴史が推移してきたとする徳治主義を主張したものです。
その儒教は漢代に、国家の教学として認定された事によって成立しました。


儒教を自らの行為規範にしようと、
儒教を学んだり、研究したりする人のことを儒学者、儒者、儒生などと読んでいます。


儒教は、儒学の教えです。
仏教の僧などはいません。
儒学の学者がいます。
<中国政府は、学校教育において、
儒教じゃない、儒学だ。
儒学は中国も文化だと言っています。 中国政府も混乱しています。


儒教といえば男尊女卑ですが、本来は、男尊女卑の概念は存在していなかったようです。
しかし、唐代以降、儒教に於ける男尊女卑の傾向がかなり強く見られるようになるのです。
これは「夫に妻は身を以って尽くす義務がある」と言う思想(五倫関係の維持)を強調し続けた結果、
と言われています。
儒教を男女同権思想と見るか男尊女卑思想と見るかの論争も度々行われるようになっています。


「狩衣姿も凛々しい若者の頼もしさをいう語」。
「説文解字」は「親」に通じると述べている。
「論語」の中では、さまざまな説明がなされている。
孔子は仁を最高の徳目としていた。
義 利欲に囚われず、すべきことをすること。
(語源的には宜に通じる) 礼 仁を具体的な行動として、表したもの。
もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していたのです。
のちに、人間の上下関係で守るべきことを意味するようになった。
智 学問に励む 信 言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。


中国では「儒教は革命に対する反動である」として弾圧され、
特に文化大革命期には、批林批孔運動として徹底弾圧されました。

多くの学者は海外に逃れ、中国に留まった熊十力は激しい迫害を受け自殺したといわれます。

儒教思想が、社会主義共和制の根幹を成すマルクス主義とは相容れない存在と捉えられていためとされます。

面白いことに、毛沢東は三国志を愛読し、曹操をとりわけ好んだといわれるが、
曹操は三国時代当時に官僚化していた儒者および儒教を痛烈に批判しているのです。


21世紀に入ると儒教は弾圧の対象から保護の対象となり再評価されつつあります。
2005年以降、孔子の生誕を祝う祝典が国家行事として執り行われ、
論語を積極的に学校授業に取り入れるようになるなど儒教の再評価が進んでいます。
文化大革命期に徹底的に破壊された儒教関連の史跡及び施設も
近年になって修復作業が急速に行われています。


ほかにも改革開放が進む中で儒学や老荘思想など広く中国の古典を元にした解釈学である国学が
「中華民族の優秀な道徳倫理」として再評価されるようになり、
国学から市場経済に不可欠な商業道徳を学ぼうという機運が生まれています。

国家幹部は儒教を真剣に学ぶべきだという議論も生まれているのです。


近年、中国共産党はなんと「儒教社会義」を唱えている。


共産党型のピラミッド型統治には、
支配する側の論理である儒教が便利であることがようやくわかったのです。